初夏の陽射しが肌に心地よい、とある休日。
地域の人々が集まって、ここの公園では、毎年地域祭が開かれています。
うん、今日は晴れてよかった。
雨模様の日々が続いていたおかげで、気分も一層爽やかな1日です。
屋台から流れる香ばしい香りや、タバコの匂い、人々の雑踏に、浮かれた気分がさらに上がっていきます。
ステージでは演し物が始まりました。
民芸装束に身を包んだ踊り手が、実に端正な舞いを披露しています。
笛の音、太鼓の音に合わせて優雅に踊る踊り手に、見物人たちはじっと見入って、お祭りはどんどん盛り上がっていくようです。
ふと見ると、舞台上手に、父親に手を繋がれた、男の子と女の子がいます。
子どもたちは、踊り子さんがどうやら自分達の母親であることにびっくりしているようで、口をポカンと開けて、ただひたすら見入っています。
石舞台で舞う舞妓さんと、その家族連れ、そしてたくさんの人々が行き交う、早馬神社。
このお祭りから半世紀後も、この石舞台は姿を変えずにこの佇まいのままでいることは、今ここにいる誰も、考えてはいないでしょう。
淡い陽の光に照らされた人々は、さんざめく笑いに包まれながら、ひとときを楽しんでいます。
いつもここに到着するのは、深夜10時すぎ。
なんか必ず、めっちゃ迷うんです。
何でかね?
で、到着する夜の早馬公園は、人っこひとりいない芝生に、いつも煌々とライトが点いています。
ですが、ゆっくりと公園の芝生にたたずみ、石舞台を眺めると、そこにはだんだんぼんやりと、夏の陽光に照らされた人々、舞台で舞う母親、親父どのに手を引かれた幼い自分たちの姿が、浮かび上がって見えてきます。
不思議ですね。
昨日のことのように、目に映ります。
つい今も、その姿が見えていて、でも会えそうで会えない。
こちらからは見えるのに、向こうからは見えていない。
一方通行の時間の壁の先から、いつも垣間見る、笑いあっている人々の懐かしい風景。
見えてはいても届かないのは、星と一緒かな。
そう思います。
大体、いつも道に迷って、でもなんだか訳が判らないまま、いつの間にか不思議に到着する、幼少期を過ごした小さな山あいの町。
半世紀経った町なのに、なぜか当時のまま。
昼間に来ても夜に来ても、いつも迷って、でもなぜか不思議に到着する。
そして在りし日のままの、空気の匂い。
何だか、いつも道に迷ってここに来るせいか、毎回、時の壁を遡上して、50年前の時空に入り込んでいる感じがして、仕方がないのです。
結局は長い時間をかけて、こうして最後には戻ってくるのかな。
漠然とそう思った、夜行の旅でした。