2022-11-01

ある日の美術教室で

 中学校はもうそれはそれは、教師は恐ろしい存在でした。

なんか、宮崎は(全国的にそうだったかは知らない)生徒を罰することに厳しい風土があったような気がします。

あ、厳しいってのは、体罰はダメ!という昨今の風潮ではなく、体罰コミコミで生徒を罰することが当たり前!というお話です。

 

 ある昼休み。

校庭の、一階にある美術教室の前に、生徒がちらほら集まっているので、なんじゃろう?と、のこのこ見に行ったわけです。

その教室の教壇には、右から男子二人、女子二人が立たされていました。

あ、もうこれは、これから始まるな、と思いました。

 

 そこにやってきたのは、体育教師の開田先生(仮名)。

美術室と体育教師は関係ないので、あらかじめ美術の城島先生に了解を取っていたのでしょう。

もうここらあたりで、きちんと制裁の下準備というか、前準備というか、手順を踏んだ ”制裁” の流れが当時は普通にありました。

 

 彼らが、開田先生の陸上部部員だったかどうか分かりませんでしたが、なんか、やっちゃいかんことをやらかしたんでしょうな。

まあ当時なら、タバコか、サボりか。

 

 そして開田先生、、

一番右の生徒の前に立つや、いきなり平手打ちバシーン!!

それも、バシン、バシーン、バシン、バシン、バシーン!

問答無用の、超強烈な平手打ち。

 

 それを見た、同じ立たされている女生徒が、半分笑いながらヒエ〜みたいな表情。

開田先生の制裁は、それでも収まらず、さらに1番手にバシンバシン平手打ちをしました。

相当喰らってましたな。

1番の首謀者というか、生意気だったのかもしれません。

 

 で、2番手。

彼にも、いきなり平手が飛んでいったのですが、彼は1番手のやられように、もう叩かれる前から反省の態度が大だったみたいで、幸いにもバシンバシン、、、

と、2発で開田先生は平手打ちをやめました。

さぞ、ラッキキキーイイ!!と、思ったことでしょう。

 

 そして、3番手の女子。

例の、半分ふざけてヒエ〜ッとしたリアクションやった子ですな。

流石に、体育の先生、女子には平手打ちはせずに、詰問して反省の弁を述べさせるか、、いやいや、

 

 

 バシーン!、バシーン!、バシーン!、バシーン!、バシーン!、バシーン!、バシーン!!!、、、

なんと一番、量が多かったですがな。

 

 女子には手加減するであろう、と思ってましたから、さすがに見ててびっくりしました。

ヘラヘラ笑っていたのが、裏目に出たか、あるいは女子には手は出さんじゃろう、とタカくくっていたのが開田先生に見透かされたか。

わりにしっかり怒られていましたな。

流石に最後は泣いていた。

 

 最後の4番手は、まあこれも平手食らってましたが、ただの1発。

2番手と同様、あまりの隣のやられように相当ヤベッと思ったか、もう恭順の態度しきりで、しおしおとしていましたからね。

 

 

 

 こうして昼下がりの制裁は終わりました。

 

 忘れ物をしただけの女子ソフト部員生徒に対する感情的、かつ理不尽な体罰が、こないだ問題になってました。

が、そういう底の浅い暴力(あれは、教師ではなくただの犯罪者です)を見聞きするたびに、僕は当時のこの体罰を思い起こすのです。

 

 これぞ、体罰。

 

 体罰云々、の議論はさておいて、やっちゃならんことをやった生徒、をどう扱うか。

今では完全NGですが、当時、開田先生は、今回は体罰も必要、と考えたのでしょう。

 

そしてその流れは、

1、悪事が判明した時点で、後日美術室への呼び出しを言いつけ、(この時点で、教師の感情的な暴力とかでは全くない)

2。きちんと時間をおいて、生徒に反省させる、あるいはぶん殴られる覚悟を持たす時間を設け、(一番効果的な時間でしょう)

3、悪いことをしたので、公開の場所で他生徒の晒し者にし、かっこ悪いとこを見せつけ、(かっこ悪い姿を見られるのが、一番こたえますからね、この年頃)

4、ちゃんと悪事に相当の平手で、容赦なく生徒を制裁し、(事の重大さを体で解らせ)

5、反省の生徒には、ちゃんと手加減をし、(なので、興奮してぶん殴り回っているわけでは決してない)

6、床になぎ倒れるような腰が入った平手でなく、(相手が子供だから、力加減が考えられている)

7、それでも反省がない生徒は、女子でも容赦がない。(男女平等)

 

 僕もたま〜に怒られましたよ。

マラソン大嫌いだから、マラソンの授業で最後ゴール手前だけターッと頑張って走ったら、

『それだけ力が残ってるんなら、なんでもっと頑張って走らんとか!!』

と、きつい調子で、がられました。(怒られました、の宮崎風)

ですが、理不尽な体罰な話は全くなかったし、厳しかったけどなんとなく一番好きでしたね、この先生。

開田先生は、頑張る生徒とか、反省する生徒、そういうのはちゃんと見てくれてました。

かの先生を思い出すたびに、厳しいまなざしにきちんと愛情が宿っていたことを、今はより明確に感じます。

 

 そんな開田先生にも夢があったようで、いつか体育の座学の時に、

『俺は将来は、ケニアに渡って、ケニアの子供達に陸上を教えたいんだ。』

と、語っていたことが、いまだに記憶に残っています。

どんだけカッコ良かったんだ、この先生。

 

 にしても、もしあのように自分が、開田先生に不幸にも平手を食らう立場になったとしたら、私はきっと最小平手打ち回数になるよう、今回の2番手のように、すんませんすんません、といった感じに更に輪をかけた反省しきりの態度で、媚びへつらうと思います。

 

愛情があってもやっぱり痛いもん、平手。