皆さんはどうですかね。おべんとう、という響き。何か感じるとこありますか?
具体的な記憶はないのですが、たぶん初めてお弁当に遭遇したのは、保育園に通いだしてからだと思います。
保育園に通いだしたのも、なんか途中入社みたいな記憶があり、以前も書きましたが、いきなり連れて行かれ、いやだー、帰りたい~と半狂乱で母親の手を離さず、かたや児童館の保母さんは小なべを引き離そうと引っ張る、それを児童館の児童全員が面白そうに見ている。
なぜ、中途半端な時期に入園したのか、皆目わかりませんがカルチャーショックがものすごく、ベソベソ泣きながらみんなに挨拶させられたことを覚えています。
子供はみんなそうでしょうが、母親大好き、お母さんと一緒なら幸せ、な生き物ですから、初めて母親から離されて、そりゃあもう、心細いのなんの。
で、そんな孤独な中で(まだ友達いないから)、初めて母親の温もりあるおべんとう、をグスグス泣きながら食べたので、それが心の拠り所となったわけなんじゃないかなー、と思います。
ハイ、オベントウのじかんです!みんな、手を洗いましたか?では、いただきます!!こんな感じだったんでしょうね。
だから、オベントウ、という響きが、とても包み込んでくれるイメージとしてチビナベに定着し、オベントウと聞くと、なんか今でも、とても懐かしい感覚が湧き上がってきます。
べんとう、じゃダメなんですね。
なんか違う。
ランチ、これもオシャレすぎて包み込んでくれる何かがない。
昼メシ、これなんかは、ただハラが減った、だから食う、という感じでただのおっちゃんテイスト、広がりがない。
お昼行きましょう、うーん、社食ですか?
やはり、おべんトウ(Tow)、とくる、このちょっともっちゃりした言葉の感覚と、オウで語尾が終わる、このホワンしたフィーリング。
『おべん』もいいですねー。
なんかどことなく優しい温度を感じる、音の響きと一旦タメができる語感とリズム。
そこに、『とう』とくるから、座り良し、味良し、響きよし。
オベンキョー、ときたら、なんか受験生な感じ。『キョー』の響きが、なんかカキッと固まってる感じ。
ですが、おべんとWu、だとなんか一気にアルマイト製のお水コップに小さいお弁当箱。
夢(卵焼き、タコソーセージ、その他愛が無限大)がいっぱい詰まったものを感じるのは、僕だけの感覚なのでしょうか。
でもこの時期、食べ過ぎには注意です。
また来月お会いしましょう!