その町は田舎の農村地帯なので、一軒一軒の距離が離れている関係上、新聞配達は都市部のそれと比べると、かなり効率が悪くなります。
でも、一家に一紙かならず必要なものなので、どんなに時間がかかっても、配らないわけにはいきません。
そのお兄さんは毎朝、というより深夜2時半に起き、3時にトラックでドサッと運び込まれてくる新聞を、雨の日も、雪の日も、台風の日もビニールで包み、仕分けして配達に出掛けます。
もうこういう生活を、20年以上続けているそうです。
体調を崩して、どうしても配達を休んだ日は、20年間で2、3日だけといいますから、たいしたものです。
じかた(地方)と呼ばれるその職業は、宴席で芸者さんが舞いを舞う、その後ろに控えて、じつにサビサビとした喉と、絶妙なる撥さばきで三味線を操る、芸能職人です。
そのお姉さんは、この世界では大先輩ですが、今だに現場で若手を率いて、宴席を盛り上げ、彼女のブッキングリストはひと月ぎゅうぎゅう詰めらしいです。
その超多忙の合間に、後進を指導し、また趣味で習いたいという、一般の方にも門戸を開き、技を教えているというから、そのバイタリティたるや凄いです。
ボウリングにハマり、マイボウルを購入して通い詰めること10年以上。
一時は心筋梗塞で倒れ、医者には
『延命どうします?』
と、すっかりサジを投げ出されたそのお兄さんは、ボウリングやりたさに意識が回復。
その後、メキメキと復活して、呆れる医者を尻目に、病院を退院して来たそうです。
その後、肺炎で倒れた時もボウリングやりたさに再び見事復活。
これじゃいかんということで、毎日足腰を鍛えるための散歩を自分に課し、その成果で再びアベレージは上がって来たそうです。
やるからには世界一。
これを念頭に、彼女が新たに挑戦したのは水泳。
私は知りませんでしたが、スイマーマスターズというのがあるらしく、公式記録でなんと彼女は、世界記録樹立を果たしたそうです。
それだけではなく、さらに記録を伸ばすべく専用のコーチに習い、何と、自分の世界記録をも塗り替えた強者です。
これらのお兄さん、お姉さん達。一番年下が92歳、一番年上で100歳。
ちなみに水泳のお姉さんは、マスターズ世界記録100歳枠だそうです。
もうどんだけやってくれるのかっちゅう、あきれますね。
元気のよさにも程がある。
でも若手も頑張ってます。
先日、以前文通していたモンゴルの知り合いが、日本に来て横綱に昇進したので、お祝いにタイをぶら下げて、両国まで行ってきました。
日本名は阿南田君と言うのですが、稽古が辛くてよく涙を流していたので、気分転換にホテルニューオータニの最上階レストランで、よく食べ放題をさせてやったものです。
また、両国のゲーセンとかに連れ出しては、遊びながら日本語を教えた甲斐があって、私に教えられた流暢な日本語で ” 横綱の決意 ” を、見事な口上で申し述べておりました。
しこ名は鶴竜といいます。
皆さん、よろしく応援してやってください。