最近、私がよく読んでいる本で「鉄道廃線跡を歩く」というのがあります。
内容は、まさにタイトルそのままで、廃線となった鉄道跡を、昔の写真や資料と照らし合わせながら、今どうなっているかを検証していくという内容です。
サラリーマンのおじちゃんが、この本を、電車の中で熟読していたのを見て、こんなスバラシイ本が世に出ていることに大感動。
早速次の日、本屋に買いに行きました。
これについては、良さの分かる人と、全然わかんない人とパカーンと二つに分かれるかなあと思います。
実際、これのどこがどういいのか、そのグッとくる、心の深淵の部分を、文章にして表現するのは、かなり難しいですね。
ですが、古い錆びたレールや、風化した橋なんかの写真を見ると、本当文字通り、心がグッッとくるんですね。
これはいったいなんなんでしょうか。
懐かしい時代へのノスタルジー、、、車社会の波に押され消えていった栄枯盛衰の悲哀、、、な~んか当たっているけど違うなあ。
確かに。そのあたりなんだけれども、そういう型通りのフレーズだけでは表現できない何か、もっと強烈にグググッとくるんです。
そう、中学生の時、愛しい花子チャンのことを想ったら、思わず胸がキュンとなったあの感じ。
胃かいようの少し上あたりをじんわりと、親指指圧されてるような、ウッとくるあの感覚。
そう、なにかが脳の記憶を司る海馬に刷り込まれていて、古いレールだの、砂利の残るような廃線道だのを見ると、やたらざわざわし始めるんだと思います。
先日も、横浜赤レンガ横で、昔の貨物駅を再現したレールの埋め込みを見て、感動してました。
そう、取り残されたレールに、やたら反応するみたいです。
レールってのは、なんかいいですね。
このレールの先にはどんな街があるんだろうとか、人のいない山の中なんかにも、ひたすら続いていく孤独さかげんとか、、、。
いつしか人々に忘れ去られて、ひっそりといつまでも、佇んでいる哀愁がいいのかなあ。
こんなマニアな気分、お分かりになられますでしょうか。
自分でも、解析不能なのですが。