思い出話。
最近雨模様の日々が続きます。
東京の雨は、いつも特に寒くて、薄暗くせわしなく、物悲しくどんよりとしてて、でも未来への希望に満ち溢れている気がします。
学生服を着た田舎の高校生が、33年前にサックスを抱えてレッスンを受けに、人生初めての東京に出て来た日も、こんな薄暗いしとしと雨でした。
人生初めての山手線や地下鉄で、どこをどう行ったか全く覚えていない、早稲田坂を登ったあたりのその風景は、今もきっと当時と同じような雨煙を漂わせていると思います。
日本クラシックサックス界の巨匠の、やっとたどり着いたその一軒家は、坂の中に埋もれているといった感じの小さな家で、狭いレッスン部屋でなんかリードの削り方をメインで教えて貰った記憶があります。
自分の実家がお茶屋だったので、手土産にお茶セットみたいなのを持って行った気がします。
そのくせ謝礼は持っていくのを忘れて大恥をかきましたな。
それでも、巨匠は気を悪くするでもなく、
「おーい、ママ。渡辺くんとこからお茶をもらったよ』
と、上機嫌で言ってくれました。
行き帰りは寝台特急『彗星』でした。
当時ハマっていたピアノのジョー・サンプルのテープをウォークマンで聴きながら、雨に煙った東京の街を希望の目で眺めながら、とまあ、とにかく広い世界の一角にほんの少し触れてみて、うわ~い、とばかりにはしゃいで大急ぎで宮崎にとんぼ返りした、そんな感じの初東京でした。
レッスンを受けるというより、上京のきっかけ作りだったんでしょう。
長い夜行の旅を経て、ようやく宮崎に帰って
『謝礼を渡すの忘れた。』
と、母親に言ったら、
『そらそうよ。そうじゃねーかねー、と思っちょったっちゃが。』
と、呆れた目をしました。
世間知らずもいいとこですね。
高校生のくせに、もうすっかり自分のことだけで舞い上がっていました。
後日、書留で謝礼の方は送ってくれたようです。
33年経った東京は、自分の中では当時と特には変わっていない様子です。
ナベを支えてくれた巨匠もナベママもジョーサンプルも、今は3月の雨の記憶と一緒にあるのみですが、その明るい希望の残滓は、物悲しくどんよりとした薄暗い、寒い東京の雨のなかを歩くと、いつも心にあかるく蘇ってきます。