最近、労働者のワーキングプア問題などが、社会問題として巷で取り沙汰されていますが、かくいう私も、昔は多種多様なアルバイトをして、なんとか食いつないでおりました。
そんな数多くの仕事の中には、一週間でクビになったバーテンダーの仕事とか、冬の雨の中の工事現場での交通整理とか、精神的、肉体的に思い出すのもハードな仕事もたくさんしましたが、自分が一機械、ロボットになった仕事、というのがあります。
その仕事もかなりハードな思い出なのですが、同時によくやったなあ、と感心する思い出でもあります。
それはすっかり金欠の若い時分、an(日刊アルバイトニュース)がわたしの愛読書だった時、目に飛び込んできた仕事でした。
ダイハツ工場にてクルマの組み立て。
昼勤7時から5時と夜勤7時から朝5時、各8時間勤務を隔週交代。
メシフロ付き。
送迎バスあり。
2ヶ月限定の期間工。
で、月給38万円というものでした。
それは、20年ほど前の大阪の話ですから、今の東京だと月50万くらいでしょうか。
これはオイシイ!やっと生活苦から解放される。
2ヶ月くらいはサックスサボってもいいや、との思いから募集に応じました。
そして予想もつかない、地獄の日々が始まったのです。
まず8時間勤務とはいっても、ライン上でアリのように働く時間が、8時間キッチリあるわけで、その前準備、後始末は労働時間には入っていませんでした。
ので、実際は、一時間も前に前乗りして準備をし、ラジオ体操に参加して(7時出社な訳です。で必須。サボったら怒られました)仕事をしないといけませんでした。
しかも一度ラインが動き出したら、2時間は止まりません。
その間、休むことなく自分のエリアに流れてきたクルマに、次々と部品を取り付けるわけです。
たしか自分のエリア内の作業時間は、15秒か20秒ほどしかなく、それをオーバーするとクルマは次の人のところに行ってしまいます。
なので、ネジのハマってないドアだとかが、次々にラインを通過して大問題になったりもしました。
全部、私のせいです。
いちおう緊急用に、天井にはワイヤーが張ってあり、それを引っ張ると、ラインが止まる仕掛けにはなっていましたが、間に合わずにそれをひくと
『バカヤロー!それぐらいで止めるなー!』
と主任に鬼の形相で怒られ、
(ああオレはきっとここで死ぬ!)
と、思いました。
で、2時間経つと、やっと休憩なのですが、それはたった5分間でした。
ナベはこの5分間に、遥かかなたに流れて行ったクルマを追って、ネジ締めにいくわけです。
が、やっと戻ったらもうラインがガコンと動き始め、もうその時の絶望感たら、ああやっぱりオレは絶対ここで死ぬんだ、と思いました。
そうやって、ああ死ぬもう死ぬと思いながらも、だんだんといつの間にか、ダイハツのネジ締めマシーンへと化していきました。
で、仕事を始めて2週間も経つと、自分の受け持つラインではノーミスになりました。
それどころか1台15秒中、手早く機敏に、作業を10秒以内で終わらせ、残り5秒で、からだをゆっくりほぐし、5分間休憩では缶コーヒー1本&タバコ2本をきっちり根元まで吸い、定時になると後片付けをして、食堂でどんぶりメシをモリモリ食って、みんなでフロ入ってみんなでバス(護送車)に乗って家に帰る、という、出稼ぎ労働者みたいな生活に、すっかり慣れてきました。
まあ若さゆえに、勢いでやり始めた仕事でしたが、高い報酬にはそれなりのハードな要求があるわけで、でも慣れるとこの機械油にまみれた仕事は、自分の体を張ってカネを叩き出してる、といった誇りを感じることができました。
確かにキツかったですがその分、オトコの仕事!っていった、プライドムンムンの体験でしたね。
そして2ヶ月が終了するころ、人事担当者に
「渡辺さん、よかったらこのまま、こちらでお仕事を続けませんか?」
との、お誘いをいただきました。
あのままあの仕事を続けていたら、今頃どうなっていたでしょうか?
京都ダイハツ山崎工場のホームページで、今週のダイハツだよりとか称して、ナベ日記とか出してたんでしょうか?
2ヶ月間の短い期間でしたが、日本の自動車産業界の、大事な一歯車として働いた、なつかしい思い出です。