小学生の頃、体育館でバイオリン4重奏だか5重奏だかの演奏会、が開かれた事があります。
太めの第一バイオリンのおじさんを筆頭に、皆さん機敏に指を動かしながら、いろんなクラシックの名曲が披露されたのですが、いやもう生のライヴ演奏を聴いたのは初めてだったので、そのハーモニーの豊かさにすっごい興奮しました!!。
一言で言うなら、音の深遠なる世界と言うか、とにかくサウンドが奥深かかったです。
周囲の大人にこの感動を話したら、
「ああいう人達は給料が安いんだよね」
とか、まるで音楽家は可哀相な人達、みたいなシニカルな情報が返ってきたりして、子供心に
『オジサンたちは大変だなあ』
と、思ったのを覚えてます。
でもあの小学校の体育館で聴いた、極上のクラシックは、人生を左右する、とっておきの珠玉のひとときでした。
子供は単純、あるいは純粋だから、本物の世界に触れることは、すごい影響力がありますよね。
そしてそんな素晴らしい、いい影響を与えられる大人というものが、たとえ貧乏で、でっぷり太めのオジサンだったとしても、超カッコよく見えました。
先日、ヤマハのピアノ科の子供達の発表会に参加してきました。
これは子供達に管楽器との共演を通じて、新しいサウンドを感じてもらうという趣旨で、私以外にも燕尾服姿のクラシック奏者の方々がたくさん呼ばれてました。
一瞬、あの35年前の体育館の記憶が蘇ってきましたねー。
たとえ貧乏でも(実際は知らないですよ、超お金持ちだったかも)子供相手に決して手を抜かず、真剣に演奏を披露してくれたオジサンたち。
自分もいつの間にか、貧乏な演奏家の道を歩いているところは共通してますし、あの時のバイオリンのオジサンに負けない最高の時間の中で、共演という形を通して、子供達の心に、何かを残せたかどうかは大変な疑問です。
が、この日、そういう立場に自分がいたことだけは、確かでした。
そういう別の自分との出会い、というものも長い人生ではあるんですね。