もうすっかり大人になってしまった今では、修学旅行を体験することはできないですが、小中高と3回あった修学旅行の中で、一番楽しかったのが、小学校の時の旅行です。
小学校の修学旅行は、行き先は隣の鹿児島県でした。
朝イチに出発し、お昼には鹿児島県内のでっかいホテルかなんかでお昼をとり、その後、城山公園を見学。
メインの谷山小学校との交歓会は、次の日だったので、もうその日は宿泊先のホテルに向かいました。
いやあ、みんなで食べるご飯は、ワクワクして美味しいですね。
小学生の子供にとって、みんなでどっかに集団で一泊するということ自体、かなりの異常事態でして、テンションは上がりまくりです。
先生なんかも、ビールとかでもう真っ赤になっちゃってて(ゆるき良き昭和でした)、子供心に
” あー、ただの酔っ払いだ “
と、思ったのを覚えてます。
で、夜です。
先生達は9時消灯、早く寝ろ、というんですが、当然寝れるワケないですね。
で、一応部屋の電気を消すんですが、先生のスリッパの音が遠ざかると、コソーッとドアを開けます。
スキマからは、薄暗い廊下がぼんやりと見え、先生の姿はありません。
そこで有志2、3名で、正義の探検が始まります。
当時ウチの小学校は、1000人を越えるマンモス校だったので(今じゃ信じられないですね)、6年だけでも、200名は越えておりました。
ですから、その人数を収容するホテルというのは、けっこう規模がデカくて、もう探検のしがいがあるわけです。
ホテルというのは、独特のニオイがありますね。
シミのしみ込んだ古いカーペットや、沈殿した空気のにおいの中で、薄暗い不気味な窓や、ボっと浮かび上がる非常口のあかりの横を、通り過ぎながら、探検隊は広い館内をくまなく捜索します。
そして危険な箇所は、階段の角とか、先生達の酒盛り部屋のフロアーです。
敵は交代で見回りをしているらしいので、いつ何時、廊下にイキナリ現われるか判りません。
なので、不審な足音がないかを耳を澄まして確認し、異常ナシとなれば前進します。
でも前述のようにデカいホテルなので、そうそう敵に遭遇しません。
子供なので、そこはすっかり油断して、アト少しで自分らの部屋だ、というとこまで帰ってきました。
その時、なんと不意に背後から、追いかけてくるように、
パタッ、パタッ、パタッ、パタッ、
!!!
スリッパの音が、聞こえてくではありませんか!
きえーっ!
探検隊はパニックです!
それまで声も忍ばせて用心してたのですが、もうそうなるとアワ食っちゃって、言葉にならない声を発しながら、部屋へ向かってドタドタと、脱兎のごとく駆けだしました。
昔から私は、逃げ足だけはむちゃくちゃ早いのです。
それまで苦楽を共にした仲間達を、はるか後方にブッチぎりにして(ひでえ)、それでも声だけは、
「早よ来んね!早よ来んね!」
と言いながら、なんとか自分達の部屋に辿り着きました。
そして最後の味方が、飛び込むようにドアを閉めたのと、敵が最後の角を、曲がってきたのがほぼ同時でした。
その直後、恐怖のスリッパの音が、
パツパツパツパツ
と接近してきて、部屋の前でピタッと止まると、
バン!
と、ドアが開きました。
部屋は電気を消しています。
われわれは、さっと布団をかぶり、死んだフリをしながら、薄目でドアの方をそう~っ見てみます。
そこには、薄暗い電灯に浮かび上がった敵が、真っ黒な巨大なシルエットとなって、部屋の中を、ジっと睨んでいるのが見えました。
ひえ~っ。
しばらくすると、末恐ろしい低音で、
「今、誰かこの部屋に、逃げたヤツがおったじゃロウ。
先生にはちゃんと見えちょったぞ。
ちゃんとわかっちょるからな!」
それは、とても恐ろしい、地獄からの声のようでした。
地獄の使者はそうして、しばらくそこで、部屋の中を睨みまわすように威嚇して、去っていきました。
恐怖の生還劇でした。
敵が去ると、にわかにまたみんなムクっと起きだし、お互いの無事を讃えあったのですが、その晩は、それ以上はさすがに出歩くことはしませんでした。
というより、私はすっかり、このスリルに味を占め、
「ね、ね、もう一回行こや。」
と、しきりにみんなを誘ったのですが、他のメンバーはなんだか、おねむになってきて、いつの間にか寝てしまい、ナベもいつの間にか沈没してしまい、気がついたら爽やかな朝になっていました。
楽しい楽しい修学旅行は、こうして終わりました。
そして数十年たった今でも、この時の旅行は、桜島をバックに飛ぶウミネコたちの美しい姿と、暗闇に立ちはだかる恐怖の先生を彷彿とさせてくれる、懐かしい思い出になりました。
とりあえずメチャメチャ、スリル満点でした。
これで病み付きになって、中学高校の修学旅行も同様に、深夜ホテル探検をしました。
が、2回とも ” 逃げ足のナベ ” は現行犯で捕まってしまい、小学校の時ほど、楽しい思い出にはなりませんでした。
でも、あの頃って多分、人生の一つの黄金期だったと思います。もう一回みんなと修学旅行、行きたいな~。