初めての生ライヴは、忘れもしない、禁断の大人の世界でした。
宮崎の一中学生が、なんか知らんけども、サックスという楽器に興味を持つようになり、地元局主催の ” ジャズフェス ” というものを初めて観に行ったのは、クマゼミの大合唱のムシ暑い夏の夜でした。
それまでコンサートというものは、ちゃんとした宮崎市民ホールで、フカフカの椅子に座ってキチンと聴くものだ、という認識がありました。
ですが、会場の野球場をとりまく順番待ちの列のあちこちで、真っ昼間から焼き肉パーティだの、酒盛りだのが繰り広げられてる光景に、少年ナベはとってもショックを受けました。
わーなんか、不良になる~と、ひとり緊張しておりました。
でもですな、ライヴが始まったら、もうそんなもんじゃ収まらなかったですよ。
もう辺り一面広げられたビニールシートの上で、花見のらんちき客以上に、こっちでは踊り出すわ、あっちではなんかモメだすわ。
カップラーメンはひっくり返ってるし、気に入らない演奏には空きカンが投げ入れられ、プレーヤーがムッとしながら歌ってるわ。
あげくの果てに、何が気に入らないんだか、酔った一人の客がステージに上がって、演奏を止めようとして、スタッフに引きずり降ろされてました。
ライヴというより、阿鼻叫喚の地獄絵巻を見るような、生きて帰れるんだろうか、というような心地でしたね。
そんなおちゃめな、宮崎市民もサダオワタナベが登場すると、ウオオーとばかりにスタンディングになりました。
でも少年ナベは、それまでのメチャクチャな周囲の状態から、自分を保つのが精一杯だったので、
「ふん、オレはまわりにはのせられないぞ」と意固地になってました。
すると、またまわりの大人の一人が、ナベを立たそう立たそうと踊りながら、手であおるんですよ。
めんどくせー。
イヤでしたね~、オイ、盛り上がっていこうゼ、みたいな無理やりノリ。
強制すなー!!と思って無視してたんですけど、相手もそんな私を見てムキになってきて、もうだんだん演奏そっちのけで、10分くらいそうしてアオられたから
(お互いに、きっとしつこい性格なんでしょう)、
もう最後には譲って、立って上げました。
きっとこうやって、当時のジャズフェスでは、あちこちでモメ事が起きてたんでしょう。
お目当ての肝心の、テナーサックスの音はといえば、、、、。もうガッカリでした。
音色以前に音がデカすぎて。
しかもジャズマンは、深めにくわえて、太い音を出すのに命かけてる人が多いです。
ので、ヘタすると、そう、黒板をツメでキーする音に、かなり近い近い、みたいな。
(その個性こそがジャズだよ、なべ君、と今は言えますが)
総括としては、大人の世界のシッチャカメッチャカぶりに、すっかり度肝を抜かれて、フラフラで帰ってきた、はじめてのジャズの夜でした。
おこずかいもなかったので、会場でなんか買おうにも、カップラーメン(当時スーパーで100円くらいかな)に、お湯足すだけでボッタクリ500円!
到底買えず、スゴスゴと自分の椅子(工作の時間につくった手づくり)にもどったら、まわりの大人達が、そのカップラーメンを夜食代わりにズルズル食ってて、もうホントにうらやましい限りでした。
もうテナーの音色どころじゃなく、空腹と睡魔と不協和音、との戦いの一夜でした。
まあ、だからそうですね。
いつか自分が故郷でやるライヴでは、せめて来てくれたお客さんには、お腹いっぱいにおいしいものをお安く食べてもらって、シアワセな気分で帰ってもらいたいですね。
でも空きカンだけは、投げられないように注意しないと。頑張ろ。
というわけで、今年も無事スタートしました。
みなさま、今年も一年よろしくお願いいたします!!