人生の宿題。
とまあ、大上段な書き出しですが、ふと思いついたフレーズなんで、深い考えがあってのことではありません。
ここに一葉の古い写真があります。
ピクニックでしょうか、どこかの原っぱにナイスガイな男性が腹這いになり、お弁当を広げた傍らには、妙齢の美人とその子供。
その子はまだ2歳くらいでしょうか。
水筒のカップを小さい両手で持ち、ゴックンしているスナップです。
そっくり返って後ろに転がってしまわないか、心配してしまうくらいに、幸せな家族の写真です。
ただそこに写っている3人は、すでにもうこの世にいません。
その生まれたばかりであろう子供も、すでに他界しています。
信じられないくらい、あっという間に過ぎ去った、過去の時間がそこに切り取られて、いまだ現実のことのようにそこに存在しています。
ナイスガイは我がじいちゃん、妙齢美人はばあちゃんで、2歳の子供はもちろんナベママです。
上海で撮影されたその写真のあと、戦争となり、命からがら引き上げて来て、超貧乏に陥ったうちの家族は、それでも子だくさんに恵まれ、貧しいながらもその子供達は皆立派に成長し、今思うと、じいちゃんばあちゃんはきっと、彼らがなすべき、するべき宿題を見事にこなしたと思います。
いつも思います。
ご先祖様はえらいなあ、と。
掛値なしに。
脱帽、シャッポを脱いだ、兜を脱ぐ、いろいろな言い方がありますが、本当に偉いなあ、と。
それにひきかえ100分の1も偉くない自分は、宿題ばかり次々に背負いながらも、偉くなくても、やはりやるべきことをやる、しかないと、あらためて思った梅雨間近のある日。
今年も、もう半分終了です。
頑張ったけどその分、疲れも溜まりがちな、5月病明けの6月。
でも、これからようやく本調子の方も多いと思います。
今年も後半、元気に参りましょう!!