川沿いには野菜畑が広がっていて、道は、歩きにくいぬかるんだ農道になっています。
記憶を辿って、そのドロの中を歩きながら、なんとか幼いころ、トンネルを見た地点とおぼしきあたりまで、行ってみようと試みました。
背丈を軽く越えている草ぼうぼうを、なんとかかき分けながら川に向かっていると、ふと鉄橋付近に古い橋台(橋を乗せる土台)を発見しました。
これこそ例の消えたトンネルの謎を解くカギでした!
現在の鉄橋の橋台は、いかにも現代風でこざっぱりとした、白いコンクリート製で、その廃棄された古い橋台の真横に、仲良く並んでいます。
問題の古い橋台は、大正時代を彷彿とさせるような赤レンガの扇形デザインで(調べてみたらやはり大正3年開通らしいです。すごい年代物ですね)、竣工年月日の銘版はみつけることができませんでした。
ただ現役の鉄橋には、銘版がありそれによると、竣工されたのが約40年前になっていて、ちょうどチビなべのいた頃は、まだできていなかっただろうと思われます。
ということは、チビナベの見たトンネルと鉄橋の風景は、今の電化された鉄橋ではなく、大正時代からの古い橋の晩年の姿でしょう。
で、その先にあったであろう古いトンネルは、口径が小さく天井に架線を張れない等の理由で、何年か後に電化完了したであろう、現在線の全線開通の際に、旧線と共に放棄されたのではないか、と推測されるわけです。
とりあえず仮説が立ったので、裏付けをとるために、築堤に這い上がってみました。
するとやはり、現在線の真横に、草ぼうぼうになった旧線の土盛りが、少しずつ角度をズラして走っていました!
チビナベの頃の線路でしょう。
見ると対岸に、先ほどのと同じ古い橋台があり、現在線と微妙に角度が山側に向いているので、多分川を越えた延長上に、きっとまだあの思い出のトンネルが、草の中に埋もれているのではないかと思われます。
ただそこに近づくには、ここからだと川を泳いで渡らないといけないので、やめにしました。
しかも接近できたとしても、かなり自然に還っている状態であろうと思われるので、次回それなりの装備をして、面会にいくことにし、思い出の川を後にしました。
盆地のお天気はメチャクチャです。
実はここまでの行動中、晴れたり大雨になったり。
しかも十分な食料も携帯していなかったの、でさすがにフラフラです。
ので、最後にもう一回だけ、思い出の塚原団地をぐるりと回って、帰途につく事にしました。
この頃になると、夕飯の準備とかで廃墟の町にも、人がちらほら見受けられます。
こうしてみてみると、建物とか町並みは、どことなく古い田舎の匂いを残しているのですが、そこに住む人はあんまり、都会も田舎も変わらない気がしました。
自分がハタチぐらいの頃は、田舎ファッションと都会ファッションは、ハッキリ違いがありましたが、今は日本全国情報がゆきわたっているせいか、ここらに住んでいる人達も、都会となんら変わらず、とても洗練された感じです。
遅い昼食は、都城まで電車で一旦出てとりました。
結局、ふるさと三股にはご飯どころが全くなかったです。
わが人生のルーツの地ではありながらも、山登りと同じで、迂闊にこの町に踏み込むと遭難しますね。
都城でも、駅前ですら食べ物屋さんはなく、ようやく今、開店したばかりの居酒屋白木屋に入って、食事にありつけました。
前述の小2の旅行の時、ここ都城駅に隣接していたデパートのレストランで、母とカレーを食べた記憶があったのですが(おいしかったなあ)、そのデパートはすでになくなっていました。
遅い昼食のあと、駅に戻ると、宮崎行きとは別のプラットフォームに、吉松行きのディーゼルカーが止まっていました。
熊本に抜けるこの山岳路線は、まだ電化されてなく将来的にも電化はされないでしょうから、昔ながらのディーゼル車です。
時間があったので、戯れに乗り込んでみたら、車内は子供の頃に嗅いだことのある、木のぬくもりの匂いがしました。
この匂いはすっかり忘れていました。
デジャブ、とでもいいましょうか、一瞬あたまがクラクラッとしました。
ここ都城駅も、駅構内には使われなくなった貨物用の広大な敷地があり、昔の繁栄がうかがえます。
以前は、もうひとつこの駅から、遥か80キロ彼方の日南の海にむかって、志布志線というローカル線が発着していたのですが、国鉄再建法の前にあえなく廃線。
40年前、白い夏の日射しの中で、ちびなべの降り立った志布志線乗り場は消滅していました。
志布志線の路盤は、構内にはうっすらと残っているものの、その先の線路跡は更地になっていて、あとかたもありません。
乗り場案内の、矢印の志布志線の欄だけが消されて、不自然な空欄になっていて往時を偲ばせてくれます。
その小2の旅行は、志布志線経由でまわってきたので、もう二度と、その旅行の跡を辿る事はできなくなりました。
頭の中にはハッキリ実像として、当時のいろんな記憶があるので、それが物理的にすでにない!という状況がなんとなく不思議でした。
今回の旅は、時空が頭の中で飛びまくって、かなりシュールな旅でした。
帰りの電車の中、今日の長い一日をゆっくりと反芻しながら、ゆっくりと沈んでいく夕日を眺めていましたが、時が経つのって本当に、あっという間なんですね。
今日一日は長かったけど、今日までの40数年間はなんだか短かかったなー、と、ふと思いました。
でもこういうふうに、たまにじっくりと人生を振り返ることができるのも、多分とっても幸せなことなんじゃないのかな、とも思いました。
トンネルの謎、、、帰路、トンネルは現存していました。ただ、一瞬で通り過ぎた。長いトンネルの記憶。それは子供心にそう感じていた、思い出の長さなのかもしれません。