私はいつからか屋根というものに深い信頼を寄せはじめていた。
大木みのる詩集より
そう、屋根。。さりげなくすごいんだなー、と時折思います。
そういえば、僕はパソコンゲームのチェスの設定を最弱にし、常勝しているのですが、必ず最後にすることは、自分(王様)の周りに5.6人の最強クイーンを立てて外壁(屋根)とし、守らせつつ、おもむろに、下っ端の弱っちい(歩兵)部下に、
『それ、功名を立てよ!』
と、赤裸になった敵の王様を追い立まわさせ、その息の根を止めるというのを常としています。
性格出るね。
そういえば、こないだの話。
ある休みの日、怪しい雲行きの中、急ぎツーリングから帰りついて、バイクを駐輪場に入れた途端、ものすごい雨が降ってきたことがありました。
ですが、すでに自宅に着いているので、気持ちは余裕。
駐輪場の板屋根は、簡素ながらも雨は十分に凌げるので、時折首筋に降りかかる冷たい雨しぶきをこそばゆく思いながら、愛車と共に、ゆったり雨の行方を眺めていたことがありました。
なんか楽しかったなー。
またある深夜、高速パーキングの駐輪場で、バイクを分解中(フツーしませんね)にゲリラ豪雨に見まわれたこともありました。
もう1メートル先は滝のような大雨になりましたが、ちょっと広めな駐輪場の屋根は、雨の割れるすざまじい音こそすれ、ほぼ完全に雨の暴力から、僕と分解されたバラバラなバイクを守ってくれました。
そうした狂気じみた外界の荒れ狂う様を、冷やかな(かなり上から目線的な)余裕の気分で、横目にしながら、鼻歌を歌いながら、チャカチャカと作業をしていた覚えがあります。
タバコを吸ってた時代なら、作業を止めて、雨がどれだけ頑張ろうが、屋根に守られひとかけらも濡れないこの幸せ感、安心感を、一服くゆらせながら味わっていたことでしょう。
今しがた、ようやく1日の仕事が終わり、夜雨の降るなか、駐車場の愛車コスモ号の運転席に身を沈め、サッサと帰ればよいものを、おもむろにコーヒーを取り出して、パラパラとした雨音を聞きながら、ゆっくり一服しています。
その狭いながらも頼もしい、我が愛車の屋根はこれからもずっと、持ち主の僕を守ってくれます。
屋根のある生活、とは親から守られているような感覚にも、似ている気がします。