先日、お仕事でジャズ演奏をしてきたのですが、ちょっとつれづれに感じたことを。
他人に評価されることで満足できることと、たとえ評価されても自分が納得しなかったら満足できないこと。
特に人前での演奏は、見られる側と見る側の意識がピッタリくることってそうそうなく、それをピッタリをさせ得る演奏者、要するに居ながらにして、他人様をこちらの世界に引き入れる力があるプレイヤーこそがプロというものでしょう。
(うわ~、振りかぶって大上段からボールを投げてしまった。チョーやばい。これから何を言っても自分に全てグサグサと突き刺さるじやあぁ~ないか!)
いいのです。上に向かうことは大事ですが、すでに自分を100点満点だなんで思っていませんから(開き直り)。
そう、こないだ演奏してみて、まあ自分の未熟さは常々痛み入るところではあるのですが、まあまあ気持ちよかったのですよ。
プチ無茶振りな曲も、大過なくメモリーで演奏できたし、よう頑張った!部類でしょう。
ただ、自分の精神状態がローな時の及第点は、通常のギリギリアウトだったりするわけで、その時の気持ちの有り様で、見るもの聞くもの感じるものの印象が、まるっきり違ってくるんですよね~。
まあ今は一定に安定しずらい、そういうお年頃なのかなぁ、とも思いますが。
そう、この日は超ローサイドな日でした。
自分が気持ちよかった曲は、反応がイマイチで、ウーン、なんか乗れないや~、と思った曲はなぜかウケがいい。
なぜだか不思議でした。
この感じ方のズレがまた楽しくて、一体何なんでしょうねえ~、と思いながら、好き勝手に吹きまくってしまった。。。
まあプレイヤーたるもの、好き勝手に吹く、という感覚は大事です。
でも、これからはより中身をもっと詰めて、自分もお客さんも一緒に気持ち良くならねば、と改めてちょっとだけ思いまして。
発信する側、それを受ける側。
何にでもそういうコール&レスポンス的構図はありますが、ウキウキしてたり、疲れてたり、なんかイライラしてたり、とバラバラな人の気持ちが、音を聴いてもらっている間だけは、一つの世界に浸ってもらって、何かしらの感動に浸ってもらう、とそういう事がしたかったんじゃあないかな、と思い返しました。
40数年前、田舎の小学校の体育館で聞いた、バイオリンの生演奏。
その感動に、音楽の素晴らしさを感じた幼い1日を、ふと思いだした春の一夜でした。
40年以上前かあ。
人生、、、、はや~。
では皆さん、良いGWを!!(こないだ正月と思っていたら、もうゴールデンウィーク!、、はや~。)