2021-04-15

春の嵐

 住職の持病(花粉症)がひどくなり、世界巡りツアーが中止となってしまったので、またしばらく日本にいることになりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 昨日までの暴風雨が、嘘のように晴れ渡った、3月のある春の日。
風は、相変わらずの春の嵐ですが、気温は暖かめで終日、とても気持ちよいお休みの日でした。

 

 そんな1日も、いつの間にか夜となり、いつものように仕事終わりに、いつもの一人キャロルで寛いでいました。
外はまだまだ風が強く、時おり、突風が風切りの唸りと共に、クルマを大振りに揺らします。

 

 春風は、おとなしい風、とかじゃ全然ないですね。
もう少し季節が移っていけば、のどかな麗らかな春の風情になるのでしょうが。

 

 時期的には、冬将軍と芽吹きのエネルギーとの入れ変わりで、いわば一種の無法状態のようです。
短いながらも、毎年巡ってくるこのちょっと際立った、荒ぶる季節の谷に、名前がついてもよろしいくらい。

 

 そんな夜風の中、さっきから、一つだけくっきりと見える星が、やたらゆらゆら揺れて、ほぼ点滅に近いくらいの瞬きようを繰り返しています。
上空ではかなり大気が乱れているようで、光が歪んでいます。

 

 あの星の名前は知りませんが、いち様に光を放つ星とかは、何十億歳というレベルらしいです。
そして、今夜空に揺らめいている星々の光が、宇宙のすみっこに、ちいさく浮かんでいる地球に、届くまでの時間。

一番近い星でも、4年かかるようです。 遠いのなんかは、90、、、、億年。

 

 そんな星々の輝き続けている、果てしない宇宙時間のごく一瞬に、暗い宇宙に地球が出来て、そして人間が誕生しました。

さあ、ここで問題です。 宇宙の一生から見た、人間の一生とは?

わかりやすいように、紐の長さで比べてみます。

 

 まず宇宙の年齢の長さを決めます。

まず東京タワーのてっぺんと富士山のてっぺんを、紐で結んだ、とします。 

それがまず、宇宙の年齢の長さ。

 

既にもう、どれだけ遠いのか、長いのか、よくわかりません。

ちなみに、東京タワーから5メートルほど歩いたところの紐に、印をつけたら、それが現生人類(現代人ではない)の誕生から現在までの長さ。

 

さらに因みに、紐の2センチのとこあたりに、卑弥呼がいます。

1センチあたりで、信長の本能寺の変があり、やがて黒船がやってきます。

 

そして、いま生きている私たちの一生はというと、、、、、、、1ミリ以下。 

紐に印すら、付けられません。

 

齢、136億年の宇宙にとっては、ほんのまばたきする間で、人の一生が終わっています。

 

 

 あー、大きいなんてもんじゃないですなあ。かなわないなー。  凄すぎて。

 

 でも、そんなわずかな時間に生きてても、こうしてお仕事をいただいて、たまにはのんびり過ごせたり、こうしてクルマから星を見上げたり、コーヒーでほっとしたり、と。

瞬間は瞬間なりに、まんざらでもないかな、と。

 

 ぼんやり、そんな埒もないことを考えながら過ごした、風が吹きすさぶ春の嵐の夜でした。