2013-10-01

時代の街角の隅で

 チビナベの頃は、ベビーブームの団塊の世代で、子供達のソフトボールチームも結構な数でした。

で、その地区のお父さんたちが、持ち回りで監督を務めていました。

 

 その監督の中で山川君のお父さんが、なかなか変わった感じでした。

当時、うちのチームには名投手がいて、彼のおかげで我がチームは強かったです。

彼はピッチャーだったので『P』とニックネームがついていて、子供うちでは、『ピー!』は気さくでカッコイイ超人気者。

でしたが、この山川君のおやじは試合とかで

『ティーのやつ、なかなかやりよる』

とか

『おい!ティー、いい加減本気出せよ』

とか、なーんか耳障りな発音。

 

 年長の『ピー』は、僕らのヒーロー的存在だったので『ピー』のことを、オシャレ風に『ティー』呼ばわりするのが、ちょっともぞもぞするような、なんかちょっと違うなあ、と、思っていました。

 

 でもやり手のそのお父さんのおかげで、山川君の家業はなかなか繁盛。

とても羽振りが良く、お家は4階建ての新築になりました。

今もでしょうが、この界隈で4階建てなんつったらチョー金持ちクラスでしたから、まわりはみんな唖然としていました。

1世代でいきなり4階建てですからね。

かなりな商売達者です。

ほー、なかなか頑張ったんだなー、といった羨望と、ちょっとは妬みの感情もご近所にはあったように思います。

でも、いいことばかりでもないようでした。

 

 ある日曜日の朝、にわかに盛大な花火の音が聞こえました。

「あらー、あれは山川君とこじゃ」

うちの母上が言いました。

「チラシが新聞に入っちょったが、そういえば」

お父上もなんかゴソゴソ言ってます。

聞いてみると山川商店の大セールの花火の音でした。

運動会の朝のドッカン花火とおんなじで、なかなか盛大です。

 

 さすがは山川君のおじさん。やることがなかなか豪気です。

でもちょっと残念だったのが、チラシの内容で、

12万9800円→12万7800円 とか 

44.800円→44.000円 とかそんな感じ。

子供心にも、オオッこれは安い!と思えるような金額ではなく、これで大丈夫なのかなあ? 幼いなべ心にも一抹の不安がよぎりました。

 

 一週間ほどした曇りの日。

たまたま大セールが終わった、山川君の家の前にさしかかった時、店先に山川君のお父さんが立っていました。

山川君のお父さんは、プラスチックのちり取りを拾って手に持っていましたが、いきなり

『ちくしょう!』

と、ちりとりを道路に叩き付けるように投げました。

 

 パリン、と。角の欠けたちりとりは、縦に飛び跳ねるように転がっていき、道路の反対側で小さな小片に割れて分散しました。

 

 ナベは知り合いの大人の豹変ぶりに、とてもびっくりしたのですが、

「こんにちは」

と小声で挨拶すると、山川君のお父さんは悪びれることもなくナベを見て、ウムとばかりに無言でうなずきました。

 

 山川君のお父さんは、夢を見て勝負に出たんだと思います。

ただ時代はすでに、大規模店舗の薄利多売に移りつつあった時期。

日本全国で、町の商店街がシャッター街へと、追い込まれ始めた時期でもあります。

たとえご近所さん付き合いでも、お財布の紐はシビアーで、お客さんはそう集まらなかったのでしょう。

その悔しさがあの『ちくしょう!』に、表れていたように思います。

 

 このお話は、別に何かを語ろうと思って書いたのではないです。

ただあの時代にも、身近な大人達が小さな町の一角で、成功しようとしていろんな駆け引きをしたたかにやっていたんだなあ、と。

今考えると、懐かしいワンシーンですが、やはりいつの世も熱い希望があったんだなあ、と感じたお話です。

 

 

 それから月日がながれ、帰省時にたまたま会った、山川君のお父さんは、信じられないくらい小さいオヤジさんになっていました。

お久しぶりです、と声をかけると、暫くして “ああー、” と思い出してくれ、しっかりとした感じで、二言三言、柔和な物腰で、お話をされました。

 

 子供の頃にはなんか苦手だったですが、大人になった今、この人もなかなか熱いものを秘めて、波乱万丈だったんだなー、とようやく理解、尊敬の念すら覚えた、ご近所のオヤジさん。

 

 これから空港に向かう私に、別れ際、

『じゃ、気をつけてね。』

と、優しくおっしゃられたのが、なぜか心に残りました。