2012-12-01

晩秋

 『おにいさん、オハヨー!』

「あ、おはよーございます!寒いですねえ。」

『うん、朝がキツくて。もう大変。ヒャッヒャッヒャッ。』

お掃除を管理する、お掃除のオバサンにある朝、声をかけられました。

 

 『あ、そうそう。実はアタシ、ここ今日限りで終わりなの。』

「えっ、お仕事辞めちゃうんですか?」

『いやね、別のとこに移るの。』

「えー、そうなんですか。ここ長かったですからねー。寂しくなりますねえ。」

『あらそう、まあウレシ。ヒャハハハッ。』

愛すべきオバサンは、今日も快調です。

 

 『実はここ家から遠くて、帰りなんかバス一本しかないから。

遅くなっちゃうとお家がたーいへんなのよ。』

「バス一本だけかあ。そいつぁ大変だ。」

『そなの、だから家の近くの百合丘に空きがあったから、お願いしてそっちに移してもらうことにしたの。フヒョヒョ。』

「ヘー、百合丘に空きがあって良かったですねえ。」

『うん、これから寒くなるし朝がとっても助かる。』

「そうですか。どうも長い間お疲れさまでした。」

『うん、お兄さんもね。』

 

 名前も知らないただ顔見知りの、元気によく笑うお掃除のオバサンなんですが、いつも元気元気! 

楽しい気分にさせてもらっていました。お疲れ様でした。

 

 2年ほど前に始めた、一日一回おはよう運動の結果、自分もここまで、お喋りすることが出来るようになりました。

声掛け運動によって、時間のずれたゴミ捨て時にも、にこにこにっこり、

「おねがいしまーす。」

『うん、そこ置いといて。』

で済むようになり(前は睨まれていた。)バイク置き場の落ち葉が、心なしか綺麗に清掃されるようになり、気持ち住みやすくなってきた、という事実があるのですが、実はこれとは別の一面を、知るようになりました。

 

 それは、高齢化です。誰のって?もちろん超人見知りの私の。

以前は知らない人と喋るのなんて、とてもムリで、エレベーターで一緒になっても、せいぜい頭をペコッとかすかに下げるのが関の山。

 

 ところが挨拶運動で培った度胸が、近年知らない人に対しても、すっと対処出来るタッチアンドゴー的な、話術が身に付いてきました。

ので、会話することに、そう恐怖を覚えなくなり、挨拶をスルーされても

(あら、聞こえなかった?はいはい、じゃまた今度ね)と動揺しなくなり、

相手がちょっと喜ぶであろうことを、ぬけぬけと言えるようになり、

オヤジ的な牧歌的アットホームな会話が得意になり、

会話を締めの言葉で、その場を去ることが出来るようになったのです。

 

 これは、自身の高齢化によって『見切り』の力がついたからではないか、と自己分析している次第です。

コレは、こう来たら、こう行くから、こうして切り抜けて、タッチアンドゴー!みたいな。

 

 たまにそこらへんで、おじさんたちが挨拶をして、のどかに話し始める風景を見かけますが、秋の光の中でなんともまったりな雰囲気です。

きっと彼らは、のどか会話術その道の、上級者なんでしょう。

私もいろいろと人格が変化していってるようなので、これからどうなるのかが楽しみでもありますが。 

まあスタンダードに、秋の光が似合う、リアルジイサンになれればいいな。

 

 名前も知らない、顔なじみとなった、掃除のオバサンとの最後の会話。

お別れした後、ふとそう思いました。