2016-12-01

田舎で過ごした時間

 今回のは備忘録ですね。 

 

 素晴らしい夜があったことを、覚えていられると、人生豊かになれるのではないだろうか。

 

 宮崎滞在最終の夜、幼少期に過ごした都城に向かい、高速を車を飛ばしました。

極端に交通量の少ない、山を貫く九州の縦貫道は、戯れにライトを消すと、漆黒の底なしの地獄の底に吸い込まれていくような、感じたことのない浮遊の恐怖すら覚える、光のない世界です。

 

 カーラジオから流れてくる、宮崎のラジオ放送はいまだ30年前の世界が健在で、マカロニウェスタン、クロスオーバーなど過ぎ去りし流行り言葉が、未だ現役に流れる摩訶不思議な側面を持っています。

そんな懐かしい音の世界に脳内を揺さぶられつつ、健全なトリップを楽しみつつ、そしてクルマは迷いに迷って漸く無人の三股駅に到着しました。

 

 無人の駅はそれでも、徐々に再開発が進みつつあるようで、5年前に見たかつての夢のあと、多くの側線・留置線跡の不自然に広い草ぼうぼうの荒れ地、が、かなり綺麗に均されています。

人口も増えつつあるという。

出生率の高い宮崎県、住みやすい街宮崎!

これが、これからのわが故郷の売り文句だそうだ。

徐々に活気が戻ってくれることを、宮崎人としてなんとなく期待しながらも、今は過疎の町となった、三股の40年前と変わらないであろう空気のなかに佇んでいます。

 

 三股は盆地なので、周りが平たい山並みの縁に囲まれています。

その黒い山々の彼方には、以遠の街の光がフワッと浮かんでいます。

まるで、広大な黒い天空の星々の海に浮かぶ、遠い銀河団のようです。

 

 鉄橋を超える列車の音が、遠くからもハッキリとよく聞こえてきます。

が、地形の変化か、音が急に聞こえなくなり、なかなか到着しない。

かなりな速度で突っ走ってくる音であったけども。

それほどまでに静かになり、空耳か?まさかね、といぶかしむ随分に長い時間が経ち、忘れかけた頃に突如、静寂を突き破る踏切の鐘の音が鳴り始め、列車が、軋むレール音とともに漸く到着した。

 

 夜の22時。

宮崎的には、真夜中丑三つどき寸前の深夜である。

宮崎にこれから向かい、一方、これからご苦労さんにも西鹿児島まで向かう、2本の列車が発車。

赤い最後尾の光が左右に分かれ、カタンカタン、カタン、、タン、、タン、、とかなたの闇に消えてゆくのを見送って、駅を後にしました。

 

 50年近くも前に見た、絶世の美人が舞っていた石舞台は健在でした。

その頃とは、住む人は全く変わったであろう、絶世の美人ももういないこの早馬公園は、相変わらず沖水川の絶え間ない流れのそばで、変わらない時間の営みのなか、夜の帳に青々とした芝を広げています。

 

 芝を踏みしめ、見上げる星々は、小学生の時に見上げた体育館の天井よりもはるか高く、手を伸ばしても届かない、遠い夜空の高みにありました。

でも子供の頃にはちょっとハシゴにでも登ったら、もしかしたら手が届くんじゃないか、と錯覚してましたね。

それくらいに三股の星々は、漆黒の空に点々と、ハッキリと輝いています。

 

 都会で過ごす夜は、ひたすら慌ただしい騒がしい気がしますが、静かなこの日の故郷の夜は、心を十分に満たしてくれ、そして未だに夜の10時半。

いつもなら、何も考えずせかせかと、ひたすらに家路への帰り道の最中でしょう。

都会の街中は、夜も昼も変わらないくらいの人、車で、かしましいことこの上ないですが、同じ時間帯なのに、所変われば、その同じ時間帯をくぐり抜ける速度のあまりのゆっくりさ、密度の濃さに違和感を覚えて仕方がありません。

 

 今日、この夜に見たこと、感じたことが、この一夜の思い出として、薄れてゆくのが実に儚く思われました。

なので、心のなかにその忘れていた風景を保ちつつ、これからを大切に生きてゆきたい、そう思った2016年の秋の夜でした。

 

 

 田舎に帰った際の時間の一コマで、たまに思い出したい風景のお話でした。

おつきあいいただき、ありがとうございました。  

 2016年、晩冬。