先日、母方のおばあちゃんの訃報が届いたので、急遽田舎に帰ってきました。
その時ちょっとびっくりしたのは、地球温暖化同様、地方の過疎化は確実に進んでいるな、という事です。
その田舎は、なべが小学生の頃、学校の担任が嫌で嫌で、週末になると逃避行していた、海沿いの小さな集落なんですが、あの頃と微妙に変わった事が2つありました。
1つは、あの頃ここの田舎道を歩くと、本家の明美姉ちゃんだの従姉妹の弘坊だの、顔見知りも含め賑やかにもいろんな子供達と遭遇したものでしたが、今回はひとりの子供とも、すれ違いませんでした。
もうひとつには、集落のあちこちに、人影のない家が増えていたことです。
この集落には大きな産業はないので、漁師になるか、林業あるいは、狭い耕地で畑を耕すしか、糧を得る道がないのです。
ですので、子供はいずれ村を出ていきます。
そうして、村には年老いた親だけが残り、年月を経て、彼らがいなくなった後は、主をなくした家だけがツタの絡まるままに、だんだんと荒れ果てていくのでしょう。
今回びっくりしたのは、本通夜前に一旦集まった、集落の面々の中で、私が最年少だったことです。
時刻も夕方に入り、葬儀社の車も到着し、いざ出棺となった際、あたりに集まってくれた人々は皆さん、おじいさんおばあさんばかりでした。
ウチのおばあちゃんが92歳の大往生だったので、お集まりのじいばあは、それよりもかなり若いのでしょう。
が、それでもその下がスコーンと抜けて、若手といえるのが私一人という実情が、薄暗くなってきた集落の風景と相まって、なんだかとても寂しかったですね。
そういえば、わたしは子供の頃、この田舎道で、なぜか小銭をばらまきながら進んでいく、葬式行列を見た記憶があります。
その時のわたしは、まだ幼稚園かそこらだったので、わざわざウチの親が、その葬式を見せる為に連れてきたんでしょう。
普段はお金に厳しいウチの母親が、
「ホラ順チャン、お葬式の人が最後のおこずかいくれるから行ってらっしゃい。」
と言ったので、明るい日差しの中、他の子供らと喜んで、駆け出した覚えがあります。
この風習の意味はよく判りませんが一説には、故人が残したお金をきれいに残さないようにする、またあるいは故人から世間様へ、今までさまざまお世話になったことへの最後の恩返しだろう、とのことです。
でももし、自分のお葬式の隊列に、沢山の子供たちが来て、きゃあきゃあはしゃいでくれてたら、もうそれだけで告別式を待たずして、さっさと成仏できる自信がありますね。
それだけ、こういう場での子供という、無邪気な存在には、ホント心が救われます。
多分この風習は、そっちの子供パワー狙いのような気がします。
だから今回特に、やっぱりこういうシチュエーションではキッチリ子供、孫の世代も参加して、幼い頃から人の人生の終わりというものも、ちゃんと実体験として、学んで、語り継いでいかないといかんよ、としみじみ思いました。
いやあ、今回ちょっとマトモなことを言いましたが。
たまにはね。
では!