皆さんは、ご自分の家系図とか、ご先祖様の来歴とかご存知でしょうか?
わたしは、子供の頃に、なんとなく聞かされていた、じーちゃんばーちゃんの話が、最近、とても興味深く、思い出されます。
なべ家も、2世代3世代前は、昔の例にもれず、沢山の兄弟姉妹で構成されていたようです。
ただ、現代に比べると、不衛生な生活環境や、未熟な医療技術、食料事情とかで、やはり若くして数名、お亡くなりになられてますね。
今では入院数週間、あるいは投薬のみで済むような病気も、当時は不治の病というのが多かったです。
えーっ、そんなんで死んじゃったの?
なんて思う病気だったりするから、現代だったら、と思うとかなり残念です。
そういうことがあった、そんなんだった、という記憶を思い返してみると、頭の中に当時の情景と、そこに息づく人々の姿が、蘇ってきたりします。
特に母方の実家は田舎で、古い写真とかと較べても、今もそう変わってないので、想像するのが比較的容易なのです。
ですからセピアな写真の中で、
” じーちゃん若かりし頃 ”、
” ナイスにキメてる図~” 、
” ばーちゃんツンすましの図 “
とかが、今の風景の中にリアルに再現できたりして、とても楽しいのです。
で、いろいろあるんですが、一番びっくりしたのが、母親が、
上海うまれ上海育ち、
だったことですかね。
この年になるまで、知りませんでした。
あやうく知らないまま終わっちゃうとこでした。
久しぶりに帰省した時に、不思議な写真が一枚、出てまいりまして。
古写真ですから、3センチ4センチ角の小さいやつで、すっかり色褪せてはいるんですが、なんかどっかで見たことのある人が、赤ちゃん連れてるんですわ。
なんかこんな知り合いおったで、なんで思っていたら、上海でのばあちゃんと、そのベビーでした。
もちろんベビーは母親です。
もう、びっくり!
ばーちゃん美人!!
じいちゃん、ウマいことやったなー、です。
それを皮切りに、出てくる出てくる。
じーちゃんの妖艶かつ、爽やかなフンドシ姿(ワイルドォ~)とか、
母親の高校時代キメショットとか。
興味深い、懐かしい写真が、山のようでした。
こちらに帰ってからもしばらくの間、パソコンに保存した古写真集を広げては、ぼんやり80年前の世界に、浸っていた時期があったぐらいです。
あとは、沢山の兄弟姉妹の中での熾烈な係争事や、昔にありがちな、謎の出生の秘密を握るお方のお写真、とかが出てきたりしました。
あまたの楽しい出来事や、熾烈な争いごとも、過去のこととなった今はすべて、つはものどもの夢のあと。
そう思うと、忘れ去られつつある、昔の営みの断片が、なぜかリアルに思い起こされて、興味の尽きることがありません。
そして特筆なのは、従軍記者だった大伯父さんですね。
この方は日中戦争の折り、従軍記者として大陸に渡り、後世のいう、無錫入城にて狙撃され、名誉の戦死を遂げました。
当時は、この戦死の報が地元新聞に大々的に取り上げられ、実家にも、当時の宮崎日々新聞が、ボロボロになって保管されてました。
そして国からは勲8等というのを授与されて、いまだにナベ家の墓の中では、この大叔父の墓が一番デカくて、墓石肌もツヤツヤとしています。
そしていまだに、年にいくばくかの下賜金が、親父殿に支給され、それで買ったデジカメがなぜか、私のものとなって家にあります。
長い間、欲しかったから、大伯父さんには感謝ですが、なんだかそうやって、今の生活に繋がっているんだなあ、と不思議な思いがしました。
できれば、もっと昔に家系図を辿っていって、もっといろいろ知りたいのですが、ここから先は、100年以上も前の、歴史の霞の彼方。
なんともしようがありません。
でも、いつかは調べてみたいです。