2008-09-01

系譜

 皆さんは、ご自分の家系図とか、ご先祖様の来歴とかご存知でしょうか?

 

 わたしは、子供の頃に、なんとなく聞かされていた、じーちゃんばーちゃんの話が、最近、とても興味深く、思い出されます。

 

 なべ家も、2世代3世代前は、昔の例にもれず、沢山の兄弟姉妹で構成されていたようです。

ただ、現代に比べると、不衛生な生活環境や、未熟な医療技術、食料事情とかで、やはり若くして数名、お亡くなりになられてますね。

 

 今では入院数週間、あるいは投薬のみで済むような病気も、当時は不治の病というのが多かったです。

えーっ、そんなんで死んじゃったの?

なんて思う病気だったりするから、現代だったら、と思うとかなり残念です。

 

 そういうことがあった、そんなんだった、という記憶を思い返してみると、頭の中に当時の情景と、そこに息づく人々の姿が、蘇ってきたりします。

特に母方の実家は田舎で、古い写真とかと較べても、今もそう変わってないので、想像するのが比較的容易なのです。

 

 ですからセピアな写真の中で、

” じーちゃん若かりし頃 ”、

” ナイスにキメてる図~” 、

” ばーちゃんツンすましの図 “

とかが、今の風景の中にリアルに再現できたりして、とても楽しいのです。

 

 で、いろいろあるんですが、一番びっくりしたのが、母親が、

 

上海うまれ上海育ち、

 

だったことですかね。

この年になるまで、知りませんでした。

あやうく知らないまま終わっちゃうとこでした。

 

 久しぶりに帰省した時に、不思議な写真が一枚、出てまいりまして。

古写真ですから、3センチ4センチ角の小さいやつで、すっかり色褪せてはいるんですが、なんかどっかで見たことのある人が、赤ちゃん連れてるんですわ。

なんかこんな知り合いおったで、なんで思っていたら、上海でのばあちゃんと、そのベビーでした。

もちろんベビーは母親です。

 

 もう、びっくり! 

ばーちゃん美人!! 

じいちゃん、ウマいことやったなー、です。

 

 それを皮切りに、出てくる出てくる。

じーちゃんの妖艶かつ、爽やかなフンドシ姿(ワイルドォ~)とか、

母親の高校時代キメショットとか。

 

 興味深い、懐かしい写真が、山のようでした。

こちらに帰ってからもしばらくの間、パソコンに保存した古写真集を広げては、ぼんやり80年前の世界に、浸っていた時期があったぐらいです。

 

 あとは、沢山の兄弟姉妹の中での熾烈な係争事や、昔にありがちな、謎の出生の秘密を握るお方のお写真、とかが出てきたりしました。

あまたの楽しい出来事や、熾烈な争いごとも、過去のこととなった今はすべて、つはものどもの夢のあと。

そう思うと、忘れ去られつつある、昔の営みの断片が、なぜかリアルに思い起こされて、興味の尽きることがありません。

 

 そして特筆なのは、従軍記者だった大伯父さんですね。

この方は日中戦争の折り、従軍記者として大陸に渡り、後世のいう、無錫入城にて狙撃され、名誉の戦死を遂げました。

 

 当時は、この戦死の報が地元新聞に大々的に取り上げられ、実家にも、当時の宮崎日々新聞が、ボロボロになって保管されてました。

そして国からは勲8等というのを授与されて、いまだにナベ家の墓の中では、この大叔父の墓が一番デカくて、墓石肌もツヤツヤとしています。

そしていまだに、年にいくばくかの下賜金が、親父殿に支給され、それで買ったデジカメがなぜか、私のものとなって家にあります。

 

 長い間、欲しかったから、大伯父さんには感謝ですが、なんだかそうやって、今の生活に繋がっているんだなあ、と不思議な思いがしました。

 

 できれば、もっと昔に家系図を辿っていって、もっといろいろ知りたいのですが、ここから先は、100年以上も前の、歴史の霞の彼方。

なんともしようがありません。

でも、いつかは調べてみたいです。