2016-07-15

遺伝

 太平洋を望む内海部落の先、2km程のところにさらに小さな部落があります。

その日も朝早くから、というよりまだ真夜中でしょう、一人の女の子が学校に通うべく家を出ました。

 

 その部落は今はもう閑散として、遠くない将来には限界集落にまで落ち込む可能性のある高齢部落ですが、当時は隣のアンチャン、わけもん(若い衆)、雨後の筍のようにわんさかいる子供達で、部落の半数以上は子供でした。

その女の子も4人兄妹の長女で、兄妹の中では、いち早く女学校に通い始めました。

 

 でもいくら活気があっても所詮は田舎なので、女子高等学校のある市内へは電車通学です。

おっと、それはありえない。汽車通学でした。

宮崎軽便鉄道の終着駅で始発駅でもある内海までは、自宅から距離2km。

悪路極まりない、当時は砂利小石で出来たあぜ道のような痩せた国道を、毎朝歩くこと1時間。

 

 そして其処から、汽車に乗り市内の学校へ向かうこと凡そ2時間。

雨が降ろうが台風が来ようが、行き帰りに合計6時間もかけて通い続けた3年間。

当時は、学校に通えること自体が幸せなことだったのですが、でもそれ以前に、当時の人のバイタリティの水準が凄すぎる。。。

 

 そんな通学風景の一葉の写真が残されていました。

場所は青島。

全国的に有名でもある観光地青島ですが、実際には今も昔も海辺のこじんまりした 、一集落にすぎません。

そんな海風の香る青島駅で、ソテツを背景に映ったその女の子は、学校帰りで浮かれてるんでしょうか、なんだか開放感のある笑顔で、にこやかに笑っていました。

青島駅からは自宅まであと1時間半もかかるのに。

でもきっと歩いて帰り着いたら晩ご飯です。

それからちょっと勉強して、横になって雑誌でも読みながら、これからの楽しい未来のことでも空想するのでしょうか。

そういえば、その子はやたらと文章や詩を書きたがる習性がありましたから、夢想家でもあります。

きっと、楽しい空想は得意だったでしょう。

 

 その女の子と映っていたソテツの木が、いまも青島駅に残っています。

写真に写っていた時はまだ細っこい若木でしたが、今ではすっかり堂々としたナリで、人気のないローカル駅のど真ん中に鎮座しています。

いつも訪ねるのは深夜なのですが、最終列車もすでに山の闇に消え、煌々と明かりだけが灯る駅舎は、いつも草の葉に遊ぶ虫の声と、蓬莱の国を思わせる薫風に、静かに包まれています。

 

 いつも思うのは、60年前のその写真の風景と、今目の前にある風景とが、なにも変わらないような気がします。

ついつい1時間も2時間もそこでぼーっとしてしまいます。

そのソテツの横には60年前その女の子がいて、そして今、僕がいます。

時間を逆回したら、その女の子がフワーッと目の前に現れて、友達と騒ぎながらスーッと目の前を通り過ぎていくのかなーと。

もしそうなったら、きっとタイムマシンの法則かなんかで、僕は透けて見えないんでしょうね。

でないと、僕はこの世に生まれないわけで、こうしてみなさんと会話もできないですから。

 

 そういえば僕も空想は好きなようですねえ。

授業中、先生によく怒られてました。

独り言も多いですが。

 

 今回のは、深夜の独り言でした。