暑い夏もようやく峠を過ぎ(ほんまかいな)、今年の夏も一段落といったところでしょうか。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
’85の夏の夜、赤いコスモ号に乗って、ドライブに出かけました。
当時は汲々の生活で、週給バイトが多く、週末の使用可能おぜぜは数千円だったので、それで行けるとこまで行く!
当時よくやっていた、当てのない夜ドライブです。
立て込んだ京都市街地を避け、山科の山を抜けたら、もうそこは滋賀県、琵琶湖です。
当時よく聴いていたジョージ・ハワードをBGMに8号線を北上すると、府内と違って、幹線なのにもうすっかり田舎道の風情です。
近江八幡、豊臣秀吉が命名した長浜、を通りぬけ、夜道、夜風の匂いの心地よさにコスモ号の行き足は止まりません。
当時のコスモ号はオートマかつフル装備!(これは女子の方にはきっとわからない、当時の男心を貫く殺し文句、いや、殺され文句でした)、その実力は1リッター9kmほど。
当時ガソリンは安かったとはいえ、もうすでに週末用の生活費を軽くオーバーしているのですが、メシよりタバコ、メシよりドライブが優先だった当時。
夜の街道を、コスモ号は走り続けました。
いつの間にか深夜になり、湖岸道路を走る車影はコスモ号だけです。
淡水なのになぜか海の匂い、まあ潮風じゃないだろうからサビは大丈夫かな、と呑気に考えつつ、コスモ君との二人旅は続きました。
今考えると、カネのない若造が不安定な中古車なんぞ、余計にカネがかかって、あぶなっかしくて仕方がないですが、幸いにも70年代製の日本のクルマは頑健で、極端に故障の少なかったそのコスモ号とは相当相性が良かったのだと思います。
なんの不安もなく、そのまま琵琶湖を一周してしまいましたからね。
これはなんてことはない、当時よく行っていた夜のドライブの一つだったのですが、あの自由気ままな一夜は、良くも悪くも影響してしまいました。
人生にも音楽にも。
自由気まますぎる初代コスモ号との、この素晴らしい夜の思い出。
その好き放題な精神は、新しい相棒キャロル号、そしてその後の東京での、歯止めのない音楽活動へと引き継がれました。
でも、彼がいてくれたからこそ、その良き青春のヒトコマが、今を支えてくれているんだなあ、と思います。
夏の締めくくりに、つまらない思い出話でしたが、お付き合いどうもありがとうございました。
まだまだ残暑は続きます。
お出かけには、水分、日傘に、タマネギをお忘れなく。