子供の頃の、とある休日。
親父どのに連れられて、親父どのの勤める、宮崎トヨタ花ヶ島店に行ったことがあります。
前も書きましたが、いつの記事だったか、その時に嗅いだオイルの匂い。
壁に貼られた会社のスローガン『今こそ見せろ!トヨタの底力』。
これを小学生チビナベは、『トヨタの低力』と読み間違えて、
(トヨタって、力が低いのだろうか?)
と、疑問に思った記憶。
日曜出勤の社員に、機嫌よく『よう!』と、あちこちに声を掛けていた親父どの。
今思うと、あれは親父どのの、子供(チビナベ)に対する会社自慢だったんだなあ、と微笑ましく思います。
その時の修理工場は、今は広大な駐車場へと変わりましたが、入り口の事務所は現在もほぼ、往時の姿のまま営業をしています。
50年前にくぐった懐かしい建物の入り口。
昭和の佇まいのままです。
今日は、当時と同じに定休日で、宿直の社員さんがおられる模様。
当時を、リアルタイムに知る者として、
『みなさん、50年前にここの課長を勤めていた職員の渡辺課長を、知ってますか?
当時は、奥に工場などもあってね。
僕は親父どのの特権で内部を見学させてもらったんです。
なんだかオイルの匂いが懐かしくてねー。
うちの親父は50年以上も前にここで働いていたんですが、この建物は当時から変わらずに、連綿と受け継がれているんですよ。
いやあ、昔のままだなあ。懐かしいナア。ガッハッハッ!』
私はですね、君たちの知らない高度成長期の当時の工場やら、無限に積み上げれた部品倉庫やらを、子供の目でじかに目視してるんだよ。(エッヘン!!)
と、ここを通るたびにいつもなぜか、古きを知るっていうだけの、謎の先住民的な関係者風を、恐れ多くも現トヨタ社員の方々に自慢して、マウント取りしたくなるのです。
が、今日もただ、建物を懐かしく眺めて、通り過ぎました。
彼らの知らない、彼らの大先輩の渡辺課長はもういませんが、親父どのの自慢の会社事務所は、未だに現役。
奥の倉庫から『よう!』と若かりし親父殿が、いまにも手をあげて、上機嫌で出てきそうな、そんな昔の佇まいのままでした。
変わらない風景が妙に嬉しかった、春の帰省でした。
Yシャツとオイルの匂い。渡辺課長の古巣⭐️