子供の頃は、月は夜見るもんだ、と思っていましたから、最初に見た昼間の月は、なんかいつもと違うナニかに見えたような気がします。
表面に模様がある薄いチョイ欠けの月は、薄地の青空に溶け込んで、白く浮かんでいます。
よく考えたら、一番近くに見える宇宙なんですよね、月って。
月だ〜月だ〜とばっかり言うもんで、ただの空に張り付いた一種のおまけ的な絵、のようになんとなく眺めてましたですが(僕はね)、よく考えたら『宇宙』を間近に視認できる、一番近い星なんですよねえ。
まあ、じゃあ太陽は?となりますが、あれはもう眩し過ぎて、なんかもうワケ分からんって感じ。
そこに行くと、月は表面面様もくっきり見えるし、見ようによっちゃ、飛行機で頑張って高くに上がったら、そこにポコッて浮いてて、よっこいしょ!って乗れるような気もする。
富士山の頂上も、晴れた日には、よく見えるじゃないですか。
あれと同じ感覚で、ちょっと頑張って向かってみたら、手が届くようなとこにある気がする。
あまりにもクリアーに見えますからね。
でも、実際は遠い。
調べて見ましたが、たとえば月への階段があったとします。
ちょっと今日から月に行ってくるね!と、ある日、月に向かって昼間8時間ほど、歩き始めたとします。
来る日も来る日も歩いて、夜は宇宙民宿(メーテルはいない)に泊まって、朝が来たらまた月に向かって歩きます。
なかなか近づかないなあ、おかしいなあ、と言い続けて、1年、2年と月日は流れます。
到着は、32年後です。
人生半分終わってます。
一番近い、手が届くような、青空にのどかに浮かんで見える月でさえ、そんなに遠い。
でも仮に、この『宇宙の広さ』を地球に例えてみたら、月と地球の距離は、ミジンコの目玉と目玉の間くらい。
いや、それ以下、のようです。
訳、分からなさすぎ、、、
でもそんな、吹けば飛ぶよな宇宙の片隅で暮らしている、私たち。
僕は慎ましいながらも、生きられていてラッキー、としか思えません。
今日見た月は、幼いあの時に見た、白く透ける月のままで、なんだか懐かしく思えました。
でも46億歳の月からしたら、それは瞬きするような一瞬の時間。
そして、昼下がりに眺めた月も子供の頃の記憶のままに、少しも変わらない風景。
自分にとっても『あの頃から今』は、実は一瞬の時間だったのかもしれません。
青空に淡く輝く、白い月。
今日もぽっかりと、空に浮かんでいました。