暑い夏が過ぎ去って、もう秋がそこまで来ています。
私の周辺では、生徒さんの発表会も終わり、台風と共にその夏休みの情熱が、短い夢を見ていたかのように過ぎ去って行きました。
懐かしい詩を思い出したので、今日は国語の時間です。
忘れもの
高田敏子
入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて
けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている
だがキミ!夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ
迷子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない波の音
皆さん、この詩覚えていますか?
僕の記憶では小5の国語の時間に、担任の先生【(シクラメンの香り)をクラス会で歌って、男子が身の置き所がなくなって、とても困ったという、以前登場した素敵な女性の先生】が朗読してくれたのを覚えています。
先生が強調していたのは、
『だがキミ!夏休みよ』
の一節です。
擬人化の手法のお勉強だったかもですが、その先生が言うには、夏休みは人じゃないでしょ。
でも敢えて、だがキミ!夏休みよ!と問いかけるところが、楽しかった夏休みとのお別れに対する寂しさ、を切々と訴えているこの詩のエキセントリックな所だ、というようなことを、妙に目をキラキラさせて、仰られてました。
僕が未だになぜ、そのことを覚えているかといえば、先生といえば、
夏休みの宿題はキチンとしなさい!
日記は毎日書きなさい!
とガミガミうるさい印象だったので、先生の前で、夏休みはずっと遊んでいました、と言うことはタブーなことのように、自分の中では思っていました。
そのお堅い先生が、
『夏休みは楽しいもんじゃがね。虫をとったり、海に海水浴に行ったり、いろいろみんな遊ぶがー。(遊ぶでしょ、の意)その夏休みが終わってしまったら、やっぱ寂しいがね。
だから、もう一度夏休みに来て欲しいという、気持ちを込めて、だがキミ!夏休みよ!て、問いかけちょるとよ。』
と、何度も何度も、だがキミ!夏休みよ!のくだりを、楽しそうに声に出しておられました。
先生にとっても、夏休みというものはどうやらとっても楽しいものらしいと言うことが、子供心には妙な違和感として、そして面映ゆい親近感として感じられました。
台風の過ぎ去った真っ青な空。楽しかった夏は終わってしまいました。
もうそこまで秋は来ています。