2006-08-15

今昔クルマ物語

 昔の車は、なんだか、いろんなヘンな顔をしてたような気がします。

 

 今わたしの手許には、70年代の車の雑誌があるのですが、そういえばこんな車あったよね~なんて、とっても懐かしい気分になって、ページをめくっております。

それらのクルマの共通点は、どれもなんだか、個性的な顔立ちです。

 

 今の車は、わたしに言わせると、どれもなんだか威嚇顔で、どうも親しみを感じません。

現代の感覚に、ついていけてないだけかもですが。

 

 なんか、みんな目が三角なんですな。

たまに三角のクルマは面白いかもだけど、どれもこれも、目が吊り上がっているのをみると、なんだか、ストレス社会に住む人のこころを、映し出しているみたいで窮屈でなりません。

 

 現代に生まれた子供達は、こういうクルマが当たり前なので、逆にそこにおもしろさを見つけるのでしょうが、私は今の世代ではないので、今のクルマは、なぜ、昔と比べて何だか大ぶりになってしまったのだろう、と感じてしまうのです。

 

 居住性、安全性はいいでしょうね。

クルマが太い = 中の空間が広いので快適、安全装置が組み込める、ということでしょうから。

でもそのせいか、どのクルマも押し出しが強くみえます。

 

 逆に、昔のクルマは狭かったですね。なにせ排気量360ccのクルマがあったくらいですから。

バイク並。

こないだ久しぶりにそのクルマを見かけましたが、は~小さい。

私のキャロルもかなり小さい方ですが、その3分の2もないくらいの体積でした。

でも頑張ってブーブー走ってました。

なんか排気ガスの匂いが、とてもなつかしい昔の匂いでした。

 

 昔はイタリアの車が、かなり幅をきかせておりましたので、今調べてみるとおもしろいことに、当時、国産車でヒットした車って、形がイタリアとかドイツとかの車のパクリだったりするんです。

 

 でも、日本車が真似できないのは性能で、その当時のあちらのクルマは、スポーツカーではない、ステーションワゴンみたいな車とかでも、平気で240km出せたりするので、なに考えて作ったのって感じです。

 

 でもまあそういう訳で、たとえパチモンであろうがなかろうが、昔の日本車は、みんな小振りでキュートなフォルムをしてました。

イタリアなど、ヨーロッパのデザイナーのセンスを、見事に日本的なものと融合させていた、自動車職人の匠の技というか、キレを感じます。

 

 それがいつしか、日本が世界の自動車王国になった時、車がなんだか、家の一部と化したような気がします。

アンケートによると、今の人の、クルマに対する考えは「単なる移動の手段」らしいです。

 

 クルマ自体が趣味、興味の対象ではないようです。

快適性、安全性を追求した結果、いまの未来型のスタイルに行き着いた、ということでしょう。

 

 でも、

『人はどういう時に、人生の幸せを感じるか?との答えで、一番多いのが(クルマを手にいれた時)なんですよ。』

と16年前、キャロルを売ってくれたマツダの方が、誇らし気に語られていたのを、いまだに懐かしく思い出します。

 

 クルマを持つこと自体がステータスで、単なる移動手段ツール、なんかではなかった時代。

私はいまだに、その感覚を引きずっていますが、これって、昭和の3種の神器、の感覚なのだろうか。

 

 ですが、これからも大事に大事に、いまのお気に入りのクルマを乗っていこうと思います。

たとえ修理費が多少かかっても、日頃お世話になっているんだから、と心に言い聞かせつつ、今夏バテ入院中のキャロル君の帰りを、ひたすら待つ日々をすごしております。

 

 はやく帰ってこないかなあ。

でも、修理費35万は、やはり!心と財布がとっても痛い!!