夕焼けの風景が、昔からナゼか好きで、学生の頃は、授業中よく外の風景を、ぼんやり眺めてました。
で、やけに静かだなあ~、なんてハッと気づくと、周りのみんなは一斉に、教科書の問題を解き出し中。
はたして、それが何ページなのかが判らず、慌てて問題を解くフリだけしていたら、後でエラい目に合ったことが、実にしょっちゅうありました。
『金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に』 与謝野晶子
という、秋の夕景を歌った短歌が、当時メチャクチャ好きで、折りがあるとその語句を思い出しては、ゆっくり一字一字、頭の中で反芻してました。
そこから湧き上がってくる、風景の空気感をシミジミ味わって、ひとりでトランス状態に、よく入っていましたね。
今でも季節を問わず、夕方感が好きなもので、バイクでよく夕方出かけます。
渋滞を抜け、幹線から離れると、急に鄙びた風景に出会います。
夕暮れ独特の匂いのする中、脇街道では車速を落とします。
82年式エンジンの心地良い振動と共に、裏通りを走っていると、学校帰りの子供や、買い物に行くお母さん、携帯で夢中に話すおじさん、さまざまな人たちの人生の一瞬と交錯します。
こういう時は、与謝野晶子に習った大好きな夕方感も手伝ってか、ホワ~とした、実に平和な心持ちになります。
でも、そんな平和なひとときは一瞬だけです。
夕暮れの陽の暮れ方はとても早く、ぼんやりと周りを眺めていたら、いつのまにか空には星が瞬いています。
秋といっても、もう11月は晩秋と言っていいでしょう。
冬の足音は、こういう山あいの道を走ると、いち早く感じることができます。
そして、そんな無防備な走りにスキがあったのか、はたと気づくと、まわりに人の気配がまったくしなくなっていました。
またもや、授業中か?
人の気配どころか、いつのまにか迷い込んでいた道は、漆黒の山に囲まれて、ずっと先を見ても、街灯ひとつありません。
唯一、我がバイクの、暗めのヘッドライトが、凍えたような路面を照らし出しています。
落ち葉がところどころ積もり、スリップしやすい二輪車には、非常に危険なコンディションです。
車も人もが通らなくなって、久しいような形相の道には、コケがはいつくばり、崩落しそうなガードレールのみが、唯一の頼みの綱です。
ここはいったい、どこなんだろう?
そして、ついに道は、最悪の状況を迎えました。
そう、かなり山深い地点で道が、無惨にも封鎖されていたのです。
立て看板には、
『これより先、崩落、落石地点多数により』
遥か真下にはダム楜が光って見えます。
きっとこの道は、ダムが出来る前に、この山あいの集落の短絡線として、山の住民達に活用されていたのでしょう。
ですが、集落が水没し人々が消え、使命を果たした山の杣道は、修復しても使い道がないことから、通行止めとなり、その後荒れるにまかされ、山中に放棄されたものと思われます。
まわりは闇です。
今考えると大げさですが、真っ暗な闇の中、頼もしいアイドル音を響かせている、我がバイクだけが、その時は唯一、生還への命綱でした。
でもこの場所で、何かあったらもう帰れません。
もし、ガケから落ちたりしたら、誰にも助け出されることなく、終了~になってしまいます。
もう一目散に引き返しました。
今回は、いつの間にか気づいたらシリーズ。
つかみはなかなか、いい話から始まったんですが、なぜか、恐怖ツーリング話で終わった、2010年、秋終わりの体験記でした。
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