2017-11-01

記憶をそうしてはならない

 みなさん、いよいよ寒くなってまいりました。

変な台風もようやく収まってくれて、やっと秋らしい陽気かと思いきや、もうかなり寒いではないですか。

そう?寒くない。あれ、歳のせいかな。

 

 断捨離。。これってなんか、飽食時代の大消費思想かな、と勝手に思い込んで、もったいない派のわたくしナベめには、この言葉がなんだか軽薄に映っていました。

ですが、秋ライブも終わり、秋仕事も終わって急にすることがなくなると、いつの間にかこの断捨離というものに、知らず知らずハマっておりました。

 

 きっかけは、田舎の実家の洗濯機を買い換えたことが皮切りでした。

その直後に管理会社より、修繕で自宅の窓サッシが一新され、なんとなくリフォーム熱が上昇してきました。

 

 そうしたらですね、これをここに移動して、とか、これはもうやはり使わないから勿体無いでなく思い切って処分しよう!とか。

じゃあ要らないビデオテープ、譜面、カセット、古い書籍にも、断を下す時が来た!とか盛り上がってきて、なんか盛大にやっていたら、頭の中で、新しい家の風景が見えてきまして。

 

 そしてこのことって、精神がとても軽くなるんですよ。

 

 出来ることだけしか出来ないですが、それでも踏み込んだ断の下し方だと、後々の自由度が大幅に違うものだということが、今回わかりました。 

きっと、これは不用品が消えるスッキリ感というより、心がそれらにいつまでもずっと囚われていて、その大きくのしかかっていた負荷から、解放されたのではないかと。 

 

 それらのモノたちへ長年積もった埃同様に、知らないうちにそのモノたちへの要らざる執着が、体の中で病的なものへと、変化していたような気がしました。

 

 なので今回、冷静に判断し、それ基準で選抜したところ、本当に要らないモノが、モノたちが大量に出てきました。  

まるで映画『千と千尋の神隠し』の中で、オクサレ様(実は名のある川の神)の体内から次々に出てきた、川に投げ捨てられた多くの粗大ゴミ。

まさにそれらみたいな風景でした。

 

 家の中をダイエットしている感覚でしょうか。

ですが、ただ単純な片付け、ではないようで、断捨離とは、

入って来る不要なモノを『断ち』、

ずっとある要らないモノを『捨て』、

そしてモノへの執着から『離れる』。

断捨離、とはヨーガ思想の一つらしいです。 

 

 確かに、単純にもったいないと言っているだけでは、モノに縛られるばっかりで、その重荷に気力を失いかねないですからね。

 

 ダイエットにはスターティングポイントというものがあるらしく、その人なりに普通に生活して、体重が増えも減りもしないポイント、というのがそれらしいです。

なので、食事を見直せば、先ずはこのスターティングポイントまでは確実に落ちるようで、そこからが本当の減量みたいです。

なんで、今回の断捨離はこのスターティングポイント探しのようです。

さーどこまでお家がスッキリなるかなあ。

 

 でもさー、最近忘れっぽいんだよなー。

なんか楽しいことやってたよねえ、何だっけ~?忘れちゃった~。

まあ楽しかったからいいかあ~、なんてね。 

 

 脳まで断捨離したらいかんね。