日南線3フィナーレ。
一杯のラーメンがその後の運を左右するとは、、、人生わからないものです。
魂を半分抜かれた状態で店を出た私は、少し混乱していました。
さあ腹ごしらえも済んだし、これから志布志城址を見たり、郷土資料館で歴史物を眺めたり、楽しく過ごすぞー!という、ルンルンな展開予定だった前向きな心に、妙にエンジンブレーキをかけ続ける、ほのかに甘かったぞラーメン事件。
そんな心の葛藤が、志布志の大気に影響をかましたのでしょうか。
到着時には晴れ渡っていた青空も、気がつくと、一面の曇り空。
志布志城址と思しき山は、山全体が鬱蒼としたただの山でしかなく、探せど探せど城址への登り口らしいものは見当たりません。
結局、フツーの山でしかありませんでした。
そんな不毛な城跡探しにくたびれ果て、次に訪れた郷土資料館はタッチの差で4時閉館。
フラフラと通りに出た失意の私を襲ったのは、南国特有のスコールでした。
それも急激に土砂降りな降りざまで、気がつくと私は、付近の山寺に入り込み、なぜかお堂の中で鐘を鳴らしていました。
その後も降り止まぬ雨に打たれながら、お堂を出、近くのスーパーでせめてものおやつとして買ったポテトチップスを、駅のベンチで濡れ鼠のままバリバリ食べながら、待つこと40分。
ようやくやって来た折り返し南宮崎行きワンマン1両キハ47。
そのお姿は、現世へと呼び戻してくれる、救いの神に見えました。
ここ始発駅志布志からですらも、乗り込むお客は数人なので、私は靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、雨ですっかり重く冷たくなったジーンズを、少しでも乾燥させるべく、行儀悪く裸足を前の座席に投げ出して座りました。
この数時間のスコールで来る時よりも十数センチも伸びたか?
線路に覆いかぶさる様な様々な植生たちに、相変わらず顔面をムチ打たれながらも、列車は健気に、雨の鉄路を突き進んでゆきます。
車窓の風景は、すっかり蒼く薄暗くなってきた雨の夕暮れで、山々に広がる田畑の横のポツポツとした人家に、夜のあかりが宿り始めています。
油津駅で帰宅の高校生たちが乗り込み、しばらくは華やいでいましたが、それも伊比井、小内海を過ぎる頃には誰もいなくなり、蛍光灯が明るい車内には、高回転で頑張るジーゼル音の響きと、白い波が激しく打ち寄せる、真っ黒な波打ち際の車窓。
そうして1時間半後、ようやく私のホームステーション南宮崎駅に到着。
コンニャクのようにヨレヨレになった私を、長駆救い出してくれて、無事長旅を終えた高齢のキハ47は、その1日の任務をここにすべて全うし、アイドリングを続けながら、そのままホームに留まっていました。
その頼り甲斐のある、落ち着いた佇まいは、まさに昭和生まれのベテランの存在感、これぞ名機!と呼ぶに値するのではないだろうか。
飾らず気取らず、ただ黙って己れの使命を果たす。まさに、カッコよさの極み。。。
今回は、こういうちょっとした感動がなければ、あまりにも寂しかったラーメン撃沈 & 濡れ鼠ツアー。
最後に、油津駅での子供達の声と、40年前と変わらない、頼もしいキハの存在感に救われました。
なんてね〜、まあ大げさかな。
沈没ラーメンも含め、全てのハプニングがとっても楽しい、ふるさとの思い出旅でした。
また行けるかなあ。
〔夕暮れの油津駅にて〕