背中というものは、その人生を物語っているとよく言います。
顔で笑っていても、背中で泣いている。
往年の大俳優・チャールズ・ブロンソンの映像を見ていると、しみじみと心打たれるものがあります。
そんな哀愁を帯びた背中に遭遇したのは、とある、夜雨の降りしきる秋の晩のことでした。
哀愁は哀愁を呼ぶ。
その夜は自分もなんとなく、そんなブルーな気分だったからでしょうか。
家の駐車場に着き、車を降り立って、雨打つ傘の下にこもり、外へ出ました。
横には、もう一台の愛車キャロル号を止めてあるので、その後ろを何気なく通った時に、後ろのリアスポイラー(F1とかの羽みたいなやつ)に、季節の落ち葉が貼り付いているのを見ました。
(あー、落ち葉か。雨が上がったら、ピッタリと貼り付くから跡が付くなあ、、)
そう思い、人差し指で、落ち葉をつまもうとしたのですが。。。
ムニュッ!!と予想外のありえない弾力的感触が、脳に伝わると同時に、その落ち葉がサササーッと移動したではありませんか!
うっっ、なんだこれは?!!?
コーヒーのつもりで飲んだらぜんざいだった、、的な乖離感。
まったく現実について行けず、一瞬、雨の中でフリーズしてしまいました。
そうしているうちにも、例の落ち葉は私の足元にポトリと落ち、どこか見たことのあるような動きで、私のブーツの土踏まずのすきまに、ササッと隠れたではありませんか。
そう、G将軍だったのです。
私は、雨にうたれながら一人佇む、黒光りするG将軍の背中を、不用意にも押してしまったのです。
『えっ、えっ、なんなんですか?何するんですか!』
せっかくの一人の時間を、ゆったりと過ごしていた彼の抗議の声が、聞こえてきた気がしました。
『私が何かしたんですか? どうしてそんなことをするんですか? 私は帰りますよ!』
彼はそう言って、素早く私の足元から去って行きました。
一人残された私は、Gの背中の感触、羽の無数のナナメ縦線の感触と、中身の詰まった感のあるボヨンとした弾力が、人差し指の先に反芻するので、何度も何度も、水たまりのアスファルトの荒目で、指先を押し付けて洗いました。
が、それでもG将軍の哀愁感はどうしても拭いきれず、人差し指を立てたまま何にも触らないようにし、家に着いてから、薬剤ブラシで鬼洗いしました。
誰にも言えない、ある夜のG将軍との遭逢。
私の人生の汚点として、また一つ、悲しみを背負ってしまった。
ブロンソンには遠く及ばなくても、こんな悲しみを背中に背負った人間は、日本中にもそういないかと。
秋雨に G将軍の 濡れ落ち葉 じゅんいち